投資家の一部からは「死の通貨」「殺人通貨」などど揶揄されるイギリスポンド。ボラティリティの高さから、投機的思考の投資家から積極的に好まれる通貨でもあり、安定志向の投資家からは徹底的に敬遠される通貨でもあります。
そんなイギリスポンドですが、歴史を振り返ると19世紀末までは世界の基軸通貨と言われていました。その後の2度の世界大戦を経て、大幅にそのプレゼンスを低下させることになりました。
イギリスの経済状況とポンド価値の乖離
現在はユーロに参加していませんが、過去のイギリスはERM(欧州為替相場メカニズム)に参加する等、ヨーロッパ各国との関係には深いものがありました。当時のヨーロッパは、東西ドイツを統一したドイツの通貨マルクが最強で、ERM参加各国は最強ドイツによりかかる形で自国通貨に高い金利をかけていました。
一方で、イギリスは失業率が高まるなど、貨幣価値に見合わない経済状況にありました。
「ポンド危機」を仕掛けたヘッジファンド
そんな実体経済に見合わないポンドの貨幣価値に目を付けたのがジョージ・ソロス率いるヘッジファンド「クォンタムファンド」。割高なポンドに対して、大量の売りを仕掛けました。売りに勢いがついたポンドは、急激にその価値を下げることとなります。イギリスの中央銀行であるイングランド銀行も必死に応戦。
一日に2度の金利の引き上げ等などで対抗しましたが売りの勢いは止まらず、ついにイギリスは為替相場の安定をあきらめ、ERMを脱退することになりました。これが1992年9月に発生した「ポンド危機」です。
この出来事を主導したソロスは10億ドル~20億ドルの利益をあげ、ヘッジファンドの存在感を一気に高めたと言われています。