石井久とは独眼竜のペンネームで有名な立花証券の元社長で、1953年のスターリン暴落を的中させたことで、一躍有名になった人物です。
その時の名言「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」は豊臣方の武将片桐且元が大坂の陣の前に大坂城を退去する時に言った言葉です。豊臣家の時代は終わったと落胆する且元の心境を表す言葉で、相場の終わりを語っています。
立花証券の社長に就任するまでの道のり
石井久はスターリン暴落を的中させる前から、株式新聞の宣伝で全国を駆け回り、1年の内に300日を家を留守にする有り様だったそうです。
そして彼が株式新聞の編集記者をやめる条件の退却ラッパが相場に吹かれ、彼は株式新聞を退社します。昭和28年、29歳の時に石井株式研究所を創立し、同年9月に江戸橋証券を創立して、昭和32年に立花証券を買収して江戸橋証券と合併、4年後に立花証券の社長に就任します。
その後も独特の相場観で市場関係者からも注目され続けます
当時の野村証券の社長の田淵が、証券業協会の会長に就任時に石井を政策委員長に就任させる。
その理由が「相場が分かる人に近くに居て欲しかった」と言っています。
昭和40年時の証券恐慌の時に日本証券保有組合が出来たのも、石井からの提案と言われています。
立花証券退任後もごく近く親しい人にバブル崩壊を予言していたのも有名です。石井の相場観は海外でも有名で、海外の機関投資家が彼にアドバイスを求めるほどです。
石井久は、立花証券時代に大手証券に媚びるようなことを良しとしなかった気構えから分かるように、不屈の精神を持った人物で、彼のように相場のことをよく分かっている人は、日本ではもうおそらく出てこないのではないかと言われております。