ルーブル合意とは、行き過ぎたドル安是正を目的に先進7か国の蔵相が、1987年にパリのルーブル宮殿に集まり、会合を開いて為替レートについて話し合い、決められた為替レートの水準に関しての合意です。
先のプラザ合意では、経常赤字と貿易赤字を是正したいアメリカの意向で、アメリカ、日本、西ドイツの協調介入が行われました。
このプラザ合意で為替は円高の流れになります
プラザ合意後1ドル=140円まで進んだ円高は、日本に景気後退をもたらし内需の減少による輸入の減少がアメリカの輸出を減少させることになりました。
更に過度のドル安が世界経済に悪影響を及ぼすとして、過度のドル安是正をテーマに先進7か国の蔵相が集まって会合を開いて、為替の安定を目指しドル安に歯止めをかけるよう、緊密に協力し合うことを約束しました。しかし、アメリカの貿易赤字とそれに伴う経常収支の赤字が、ドル安の一番の原因だから、ルーブル合意による為替誘導の効果は疑問視されていました。
ルーブル合意後はドル安が一時は止まったが
ルーブル合意後は、ドル売りが弱まり為替が安定してきましたが、アメリカの貿易赤字からの世界市場へのドル流出は止まらず、再びドルが下落してワシントンで再びG7による会合が行われて、ドル安是正について話し合われました。
しかし双子の赤字を解消できないアメリカは、ドル安に歯止めを掛けられなくて、アメリカ国内のインフレ懸念が高まって、金利上昇の思惑から債券が売られます。そして金利上昇から株が売られてのブラックマンデーを引き起こしました。