中国人元銀行というと、西側の中央銀行と一線を画すようなイメージはありますが、その業務内容は西側の中央銀行とそん色はあまりないというのが実際の感想になります。
中国人民銀行は、経済、為替の安定に尽力をしており西側の中央銀行と業務内容とはあまり変わりがありません。
設立とその変遷
中国人民銀行は1948年12月1日設立になります。日本の戦後のインフレーションもひどかったように中国のインフレーションもひどい状況でした。
この要因は戦争によって、国家財政を中央銀行が一手に引き受けをしたたま莫大な財政赤字と通貨発行量の増大によって通貨価値が下落したことによって引き起こされたには日本と同様になります。
この体制への転換のため、中央銀行を国民政府が設立したのです。この前身は中国共産党の発祥の地である河北省、山東省、陜西省の主要銀行の合併によって設立されその後支店網を拡充していきました。
文化大革命によって中国人民銀行は政府の機関の一部になりましたが、鄧小平の改革開放路線によって再び陽の目をみることになります。鄧小平は資本主義世界における銀行の重要性を十分に認識しており、現在のような組織形態になったのは彼の存在抜きには語れないものです。
中国人民銀行の政策と問題点
中国人民銀行の政策は不可解とよく国際金融社会からはよく言われていると思います。記憶に新しいのは、2015年8月の突然の人民元の切り下げの通知かと思います。
直前に上海株等が暴落をして、人民元がずっと高い状態を4年間放置しておき突然の切り下げには吃驚した関係者は多いと思います。このように中国の金融政策には資本主義経済諸国には理解しがたいものが多々ありますが、長い歴史の視点からみていくとその整合性がかなりあるように見えます。
逆に西側諸国の金融政策があまりにも短期的視点にたったものと考えると逆に中国人民銀行の政策のほうが合理性があるもの、と考えたほうがよいかもしれない部分もあります。