きのうは金利の動きを解説しましたが、すでに債券価格の押し目は終了したような感じであり、また、金利が下落してきています。今回の株価の急落というものは、金利高から発生しているものですから、株価は金利が上昇すれば、下落、金利が下降すれば上昇という負の相関を有していることになります。
おそらく、これから感謝祭を控え、ファンドは大量に売り越した債券を買い戻ししたいのでしょうから、押し目があればそこで踏みを行っているだけの話だと思います。
3か月に1度のイベントである長期国債先物の納会は、感謝祭明けになります。その後は、また、新規売りを行うと思います。さて、本日は、アメリカの各種指標が去年と同じ形にあることをお話ししたいと思います。
ミシガンサーベイそのほか
いつものようにミシガンサーベイになりますが、絶好調といわれるアメリカの消費者サイドの信頼感指数は、前月比マイナスになります。もちろん、前年同月比と比較をすればプラスになりますが、絶好調、じゃないの?と思うのが普通になります。
このミシガンサーベイの数値は去年と違うけど、形は去年と一緒です。
失業保険申請者数も上昇ですが、形は去年と一緒。去年も年末商戦を迎えるころには、失業保険の申請者数が増えていました。
耐久消費財も同じです。10月までの数字しか出ていませんが、こちらは4月から同じような推移です。
これらから言えること
結局、去年は何が起こったかといえば、2018/1の大発会は113円という、なんだか円安になりすぎのような円安で発会して、そのまま、3、4月まで円高に一直線だったわけです。
上記の経済指標は、なぜ、このようになるのかは、原因は私もよくわかりませんが、相関関係にあることは事実だと思います。原因もわかっていないのに、では、年初から円高と予想をするのは非常に危険なことなのですが、たぶん、そうだろうな、と思います。
すなわち、きのう若干、円安になってしまいましたが、去年も、この時期に円高だと思わせて、感謝祭明けの年末商戦がスタートをすると、ものすごい勢いで円安、株高を示現したのです。その勢いがドル円の年初113円という訳がわからない円安だったのです。
今から考えても113円という値段は異常値です。今年も同じパターンなのであろうと思います。つまり、去年の11月から今年の1月の動きをどの通貨も取るのではないか、と思っているだけの話です。
ただし、今年独特な要因をきちんと念頭に入れておくべきです。たとえば、イギリスのブリグジット離脱の議会承認は年明け早々にあります。イタリーの予算承認、ドイツのメルケルのピンチはクリスマス休暇で消されると思いますが、イタリーはクリスマスに向けて交渉するのでしょう。
イタリーは何をやりたいのかさっぱり理解不能ですけど。トルコは割安は全く解消されておらず、南アは物価上昇が思ったほどではなかったから、金利低下から上昇しているのです。
基本は、去年と同じと、現時点で思っていますが、各国の特有の事情があります。さきほど日本のCPIが発表されましたが、この数字は10月のもの。つまり4月の物価を示しているもので、4月は円安になり始めた月なのですから、年率で物価は上昇していなければいけないのに、変わらずで、Coreに至っては変わらずな訳です。
日本経済が良くなる訳がありません。まもなくシンガポールのGDPになりますけど、中国の影響が大きい国ですので期待なんぞできません。要するに今後は、いつもお話ししているように、アメリカだけが景気が良い状態で、各種指標の先行のものはすでに下がり始めています。
しかし、これから本格的な年末商戦の訳で、各種の賃金や労働雇用率などみると多いに期待ができる状態なのです。その年末商戦の間にマーケットが崩れる可能性というのは低いのではないのかな、と思うだけです。ですから、いつも言うように、年末か年明けが大幅な転換ではないかなということです。
きのうの相場について
まず、金利動向を、一番にみてください。という、お話しをしています。つまり、一番、先に何をみるかといえばドルが高いのか、安いのかの確認をします。
そして、基軸通貨ドルの金利動向を見るのです。ドル高になったので円安になるのは当然のことなのですが、ほかは、もう外しまくっている訳です。ポンド、ユーロも外しまくり、私は損をしていませんが、ま、思ったよりも下がらなかったな、と思うのです。
だから、こういう休みは嫌いで、祝日なんかなくなっちまえ、と悪態をつくのですが、無理なことに文句をつけても仕方がない、とも思います。サラリーマン時代、祝日は天国だったことを考えると、ま、そんなにも文句も言えないと思います。
要するに、出来高をみてもすでに薄商いになっており、ほぼ、薄商いの中の予想はほぼ無理になってきていると感じています。
ただ、きのう書いたことは基本中の基本になりますので、何度も、基本を覚えて、自分で解釈するのは大事なことだと私は思います。何がいいたいかといえば、外してごめんなさい、ということです。
(この記事を書いた人:角野 實)